死別の悲しみをどのように受け止めたらいいのでしょうか

この20年ぐらいの遺族の人たちの(*悲嘆の途中の)悲しみの受け止め方を新聞記事やテレビ、ラジオの声や手記などからメモしてきました。死別の悲しみは一生無くなることはありません。乗り越えることもできません。喪の作業は、一生かけて行われるものです。
大切な人を亡くした悲しみの受け止め方は、亡くなった方、死因、年齢、その方との関係性、など遺族の状況はそれぞれ違います。それゆえ、受け止め方も様々です。その中から、表現の仕方の多かったものの一部を紹介します。

これからもずーっと一緒です。
あなたと一緒に生きていきます。
あなたの死を無駄にしません。
あなたは私の心の中に生きています。
供養していきます。見守ってください。(私の方が見守られているような気がします)
この悲しみにあなたは耐えられないでしょう。私が生き残ってよかった。
再会したら「私はガンバッテ生きてきたよ」と言いたい。
これまで私の子ども(夫)でいてくれてありがとう。
あなたのことは忘れません。あなたに恥じない生き方をします。
あなたからたくさんの事を学びました。これからも導いてください。
あの世で幸せに暮らしていると思います。
私が死ぬ時には、お迎えに来てください。
あなたは人生を充実させて生きました。
大いなるものに委ねたいと思います。
この世にはどうにもならない事があります。

これらの声は、ご遺族の悲しみを抱えたまま生きている途中の「今の心境」を尋ねられての言葉・表現です。この言葉の裏には消えることのない、悲しみ、後悔自責、罪悪感、怒り、淋しさ、恨みなどの悲嘆感情が潜伏していることを見逃してはなりません。それらの感情は、何らかの刺激で突如として湧き上がってくる事があるでしょう。それが普通のそして正常な悲嘆感情です。体験したことのない人にはきっとわからないでしょう。紹介したいろいろな受け止め方も一生かけて、時間と共に刻々と変化していくようです。

終わりに、平山正美さんの言葉を紹介します。

「最終的には、他の誰でもなく自分自身で辛く悲しい運命と向き合い、そしてそれを抱え自分なりに折り合いをつけて、歩み直していくしか道はないのですから。」

身も心も引き裂かれるような理不尽な死別の悲しみは、乗り越えることなんかできません。抱えたまま生きることを覚悟して生きていくしかないのかもしれません。(F.Y.)

『大切な人をなくすということ』を読んで

ステイホームのこの時期に、以前読んだ本をもう一度読み直しています。

はすの会でしばらくの間、皆様に会えず、どう過ごされていらっしゃるかと案じつつ本棚のこの1冊に手を伸ばしました。薄くて口語調の文体が多く読みやすい本です。

はすの会の全スタッフが共に学んだ「上智大学グリーフケア研究所」の特任所長である高木慶子先生の著書です。われわれスタッフは、愛する人を喪うという辛く苦しい方にせめて心だけでも寄り添わせてほしいと願う思いをもっておりますが、高木先生はこれまで30数年に亘ってそれを実践されてこられました。

その著書の1部分ですが、ご紹介させて下さい。

阪神・淡路大震災でお子さんを喪ったお母さん方とお話をされ、「周囲の人からしてほしかったことはありますか」と高木先生がうかがったそうです。その時の声は次のようでした。

「とにかく、そっとしておいてほしかった」

「死者のために祈ってほしかった」

「ひとりになりたかった」

「思いやりをもって見守ってほしかった」

「話を聞いてほしかった」

「やさしく接してほしかった」

「どうしてもらいたいか、よくわからなかった」

何か言葉をかけようとするよりも、励まそうと気負って接するよりも、「静かにそばにいる」ことの方が大切であること、心ある第三者がそばにいることが大切であることを感じられたそうです。(『大切なひとをなくすということ』PHP研究所 2011年 より)

新型コロナウイルス拡散による緊急事態のなか今は皆さんと直接会ってお話をすることができない状況ですが、「はすの会」われわれスタッフがあなたにとって、心ある第三者としてあなたを思い、苦しさ、辛さ、理不尽さに押しつぶされそうになりながらそれでも日々がんばっていらっしゃるあなたのことが気がかりでいることを忘れないでいただきたいのです。

この書のあとがきに次の言葉が記されていました。

作家の林芙美子氏の「花のいのちは短くて 苦しきことのみ多かりき」

苦しみ多き人生を生きる者同志として、共に支え合っていければと心から願ってやみません。(M.S.)

今日、わたしが思うこと

先日、宇宙飛行士の野口聡一氏が自宅待機のこの状況について、宇宙船に乗っているのと同じだと表現されていました。話す機会がない、食べたいものが食べられない、行動範囲が限られるといったところで共通しているとのことでした。そんな中で大切なのが「ルーティーン(規則正しくすること)を作ること」「目の前のできることをする」だそうです。野口氏は毎朝起きた時に身体を動かすというルーティーンを自分で決めて実行していたそうです。

「話をすることで少し楽になる」「自分だけだと思っていたのに、同じような人がいた」と参加されたご遺族さまが思えることは遺族会としての大きな役割のひとつだと、わたしたちスタッフは考えています。聞いてくれる相手がいるということはとても大切なことです。しかしそれができない今、みなさまどうされていらっしゃいますでしょうか。きっと頭の中を同じ考えがぐるぐる回るだけでそこから抜け出すことさえできず、お辛い思いをされているのではないでしょうか。

そこで、「誰かに話す」という作業をおひとりおひとりの中でしてみてはいかがでしょうか?「愛する方のお写真に語りかけてみる」のはもちろんですが、独り言でもよいと思うのです、気持ちをそのまま口にしてみることが大切です。

また文章にしてみるのもよいことだと思います。「文章」と言われると「無理無理」と思われるかもしれませんが、堅苦しく考えなくてもその時の気持ちを殴り書きすることから始めてもよいのです。書くことで不思議と頭の中が整理されたり、時間が経って読み返してみると「ああ、こんなこと感じてたんだ・・・ちょっぴりだけど変わったかもしれないな・・・」と感じることもあるかもしれません。もちろん「全然変わらない・・・」と思うことも大いにあり・・・。文字として具体的に目で見ることによって、自分の思いが浮かび上がり、いろんな気づきが与えられることがあります。また次に誰かに会えた時、それを見てもらって話をすることもよいかもしれません。

たくさん書きたければたくさん、たくさん書けなければちょこっとだけ。決して無理をせずご自分のペースでルーティーンにしてみるのもよいかもしれません。(W.K.)

私のある一日

新型コロナウイルス感染症で、世界中が大変な状況の中、多くのものを失って過ごしています。
今までの生活リズム、仕事、自由に出かけること、何より安心という気持ち。
安心して人と会い、対話するという普通で大切なことができず、大きなストレスも感じています。

日々の重く暗いニュースに不安がつのることもあります。
以前の生活に戻ることはなかなか難しいようで、「コロナ疲れ」という言葉もよく耳にします。

私自身、亡くなった人を想い、一緒にいてくれたら、気持ちを分かち合えたら、どれほど気が紛れたり、心強いだろうと思います。
穏やかだったかなしみが大きく膨らみ胸がざわつきます。

先日体調を崩した時、心と身体はとても呼応しあっていると実感しました。
そして心身のバランスを保ち、少しでも穏やかに過ごすために日常生活を整えようと反省しました。

家事や軽い運動で屋内でもできるだけ身体を動かすようにし、ベランダでは草木に水をやり、空を見上げ、風を、季節を感じて気分転換しています。
また、ひとり暮らしでは難しいことでもありますが、1日単位でできるだけいろいろな食品を摂るようにしたいと努力中です。
そしてなかなか寝付けなくても横になり目を閉じるようにして、睡眠も規則正しくなるようにと心がけています。

筆まめな人とは手紙のやりとりで、メールやビデオ通話を使って、近況や気持ちを伝え合い、お互いに閉塞感や孤独感を晴らしたりしています。
今できることを探し、活用して、好きなことも楽しみながら…

そして、朝な夕なに亡き人に一日の報告をしています。

ささやかですが私はこのような日毎の積み重ねを大事に今を過ごしています。

亡き人を思うにも個性や背景があり、悲嘆とともに過ごしていく過程も異なるようです。
もし必要ならば、あなたはあなたらしい過ごし方を探してみてはいかがでしょうか。( N.H.)

15年が経った今思うこと

今日2020年4月30日、ゴールデンウイークが昨日から始まりました。例年なら多くの人が外出して休日を楽しむのでしょうが今年は違います。しかし身内を失った方々の思いはどうでしょうか?もともとゴールデンウイークなどは眼中になく、もしかしたらコロナウイルスの感染拡大のことも少し上の空かもしれませんね。

私は2005年の福知山線事故で18歳の娘を亡くし、15年が経ちました。今年の慰霊式は中止になりましたが、その日我が家は事故現場に行き拝んできました。我が家以外には一組いただけで、あとはJR西の役員、社員でしたので、ざわざわせず、ゆっくりとすごせました。思うことがたくさんありますがその一部を語りたいと思います。

・悲しみとどう付き合うか、つまり、苦しすぎてそこから逃れようとするのか、どっぷりと悲しみにつかるのか、そんな選択を行ったり来たりしてきましたが、結局は否が応でも付き合わざるを得ないということだと思います。逃れられないのは逃れられないほど愛情が深いからだと思います。ですから苦しくてもその苦しみの深さと付き合うことそのものが喜びになっている自分を発見します。

・死後のこと。ある説では、どんなに考えても死後の世界を知っている人はいないし、わからないのだからそのことを考えることをやめる、というものがあります。でもこの考えはどうも死後のことを掘り下げるという問題に対して、考えずにあきらめるということで、放棄でもあり、それが正しい答えのようで、ずるいように思いますが、それもありなのかとも思います。私の思いは死後のことはわからないのだが、私が死んだらきっと娘と会えると思っています。私の両親はかなり前に亡くなっていますが、よく彼らに娘をよろしくとお墓で言います。また亡くなった知人には娘がいるから仲良くねと拝んだりします。

以上ひとつひとつのことをもっと掘り下げて述べたかったのですが、重く読みにくくなってもいけませんのでこの辺にしておきます。(N.S)

抵抗力をつけるために歩きませんか

新型コロナウイルスの感染が収まらない状況ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。極力外出を避けるようにとの要請が出されています。しかし、自宅にこもっては体力も落ちてきます。
現在「抵抗力」が大事だと言われ、睡眠、バランスの取れた食事、ストレスをためない生活、適度な運動など、生活上注意する事が喚起されています。
悲しみの最中にあるご遺族は、特に抵抗力が落ちると言われますので、どうぞ十分気をつけてください。
しかし、以前の生活を取り戻すことさえ難しい皆様にとって「抵抗力」をつけることは容易な事ではありません。

そこで提案ですが…
*1*
どうしても買い物に行かなければなりません。その時少し余裕をもって『遠回り』して買い物してみませんか。
その時歩いた時間を暦とか日記・メモ帳に【買い物30分】と記入しておくことをお勧めします。
散歩ができそうな方は人通りの少ないコースを探して、
【郵便局コース:20分】
【淀川コース:30分】と記録しておきます。
いいコースがみつかったら、歩く速度を無理ない程度で速めて、時間を少し短縮できるようにしてみましょう。そして外出の際は、必ずマスクを着用してください。

*2*
最近、テレビでいろいろな体操や補強運動が紹介されています。軽いものでもいいですからやってみませんか。そうすることで、食欲もわくかもしれません。
睡眠も少しとれるような変化がみられるようになるかもしれません。
食事はバランスというより、食べたいものを食べましょう。

現在遺族会の会場が閉鎖されて、いつになったら開会できるのかと思っています。私たちスタッフもこのような体験は初めてです。分かち合いの皆さまと会えない中、どのようにして暮らしておられるのでしょうか。
いつかは会える時が必ずきます。その時は、どのようにして生活されてきたか、ぜひお話しください。教えてください。
いま、本当に大変な時ですが、踏ん張ってこの時をともに耐えていきましょう。(F.Y.)

今春は…

今春は、花見の宴は開かれず、桜の花は人知れず咲き散っていくのでしょうか。古今和歌集に次のような紀貫之の歌があります。

「さくら花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける」

桜の花びらがひらひらと風に舞う様子が、水面に波が立つようだと表現しています。愛する人を亡くした悲しみで、心が波立つのと似ているように思います。
亡き人を思うと、悲しみが波のようにくり返し押し寄せてきます。波紋は波紋を呼び留まることはありません。苦しみの尽きることのない不安に押しつぶされそうです。

現在、新型コロナウイルスの感染が拡大し人々の心は不安でいっぱいです。

愛する人を失った悲しみを抱えながら、不安な日々を過ごさなければならない辛さは如何ばかりでしょう。

NHKの「こころの時代」で清水真砂子さんが『ゲド戦記』の中の文章を紹介されていました。
“All the hope left in the world is in the people of no account.”

このような状況にあって、この世界に残された希望は私達一人一人の中にあり、希望を託されているのは名もなき私達一人一人なのだというのです。

私が亡き人を思うとき、失くしたくない想いがあります。共に生きた喜びと死別の悲しみ、それら全てを、たとえ辛くても失くしたくない希望を私は持っています。亡き人を偲ぶ時として、今を過ごそうと思います。
(M.S.)

「コラム」でスタッフからのメッセージ掲載

はすの会ホームページをご覧のみなさま

世界中が経験したことのないような事態が続いている中、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

現在の状態がいつまで続くのか予想をすることができません。しばらくの間、ホームページで開催状況をお知らせして参りたいと思いますのでご覧ください。
早く事態が終息し平常通りに定例会を行えるようになる日を待ち望んでおります。

さてこのような状況下で家から出る機会が少なく、どなたかとお話をする機会もきっと減り、愛する方を亡くされた悲しみをどうすればよいのか困惑されている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

定例会にいらっしゃれる日まで生活をしていくヒントになるようなことをスタッフからお伝えしたく、こちらの「コラム」に掲載することにいたしました。
少しでもお役に立てれば嬉しく思います。

ご挨拶

はすの会は、ご家族を亡くして悲嘆の中にある方が同じような体験をした人たちと出会い、その悲しみ、苦しみ、寂しさや怒りなどを語り合う会です。その中でお一人お一人が何か大切なものを見つけて少しでも心が軽くなることを願って2012年3月に設立しました。あなたもその重荷をしばらくおろしてみませんか?

人の一生は「喪失体験の一生」と言われています。その喪失の中でも最も辛いのは愛する人の喪失ではないでしょうか。「なぜ?」「どうして?」という疑問や怒り、生き残っている罪責感などを抱え、「このような悲しみが他人にわかるはずがない」との思いから、つい孤立してしまう方々も少なくありません。

今あなたが抱えておられる悲しみや怒りや不安などを一人で悩むのではなく、あなたと同じような体験をされた方々と出会い、今のお気持ちをお話になってみませんか?その出会いの中で少しでも心が軽くなって、何か大切なものを見つけることができるかもしれません。

遺族会 はすの会のHPをリニューアルしました

遺族会はすの会のHPをリニューアルしました。

分かち合いの会についての問いあわせは以下のメールアドレスまたは電話で承っております。

■問い合わせ
メール:hasuno-kai@hasuno-kai.org
電話:080-8318-7933 ※電話の受付時間は 9時〜17時です。

活動予定 東大阪 

活動予定 神戸 

 

はすの会は2012年3月、上智大学グリーフケア研究所修了生によって設立されました。

JR西日本あんしん社会財団からの助成金で運営されています。※2019年現在