私のある一日

新型コロナウイルス感染症で、世界中が大変な状況の中、多くのものを失って過ごしています。
今までの生活リズム、仕事、自由に出かけること、何より安心という気持ち。
安心して人と会い、対話するという普通で大切なことができず、大きなストレスも感じています。

日々の重く暗いニュースに不安がつのることもあります。
以前の生活に戻ることはなかなか難しいようで、「コロナ疲れ」という言葉もよく耳にします。

私自身、亡くなった人を想い、一緒にいてくれたら、気持ちを分かち合えたら、どれほど気が紛れたり、心強いだろうと思います。
穏やかだったかなしみが大きく膨らみ胸がざわつきます。

先日体調を崩した時、心と身体はとても呼応しあっていると実感しました。
そして心身のバランスを保ち、少しでも穏やかに過ごすために日常生活を整えようと反省しました。

家事や軽い運動で屋内でもできるだけ身体を動かすようにし、ベランダでは草木に水をやり、空を見上げ、風を、季節を感じて気分転換しています。
また、ひとり暮らしでは難しいことでもありますが、1日単位でできるだけいろいろな食品を摂るようにしたいと努力中です。
そしてなかなか寝付けなくても横になり目を閉じるようにして、睡眠も規則正しくなるようにと心がけています。

筆まめな人とは手紙のやりとりで、メールやビデオ通話を使って、近況や気持ちを伝え合い、お互いに閉塞感や孤独感を晴らしたりしています。
今できることを探し、活用して、好きなことも楽しみながら…

そして、朝な夕なに亡き人に一日の報告をしています。

ささやかですが私はこのような日毎の積み重ねを大事に今を過ごしています。

亡き人を思うにも個性や背景があり、悲嘆とともに過ごしていく過程も異なるようです。
もし必要ならば、あなたはあなたらしい過ごし方を探してみてはいかがでしょうか。( N.H.)