緊急事態宣言の中、いかがお過ごしでしょうか。遺族会例会を開催することが叶わず、スタッフ一同もどかしい思いでおります。大切な方を亡くされた悲しみ、寂しさ、怒り、後悔・・・こうした思いを自粛することなんてできないのですから・・・。
昨年の緊急事態宣言のさなか、大切な友人を亡くしました。高校の先輩であり同窓会組織の中でずっと一緒に奉仕をし、たくさんのことを語り合った仲間でした。病を得て入院をされていましたが、病院の面会禁止を受けて辛い闘病生活の間もお会いして話をすることもできず、ちゃんと最期のお別れもすることができませんでした。亡くなったと聞いたときには、いつの間にかフッといなくなってしまったような不思議な感覚を覚えました。亡くなったってどういうことなんだろう、いなくなるって・・・?。余命については聞いていたはずなのに、こうした言葉が頭の中をぐるぐるまわるばかりでした。なんとかお通夜と葬儀に参列することができたことで「あ、これは現実なんだ」と少し認識することができた感じです。いまだに、今は会えないけど世の中が普通に戻ったらまた以前のように会えるような気がしています。
友人であったわたしでさえこのような悲嘆をかかえていますので、ご主人はどう過ごしておられるのだろう・・、彼女がいつも支えておられた実母さん、義母さんたちはどんな思いでおられるのだろうかと心配をしています。3ヶ月にわたる入院生活でようやく直接対面できるようになったのは亡くなる2日前だったそうです。多くを語ることをしない、人前に出るのが苦手なご主人であることを彼女から聞いていました。11月になり喪中はがきが届きました。そして12月には「ぼくは〇〇(名前)と好きで結婚しました。結婚して本当によかったです」とつづられた葉書をいただきました。なぜこの時期に、つぶやきのような言葉を葉書にして出そうと思われたのだろう・・どんな意図があるんだろう・・・不思議に思いました。
今から考えるとご主人の精一杯の、そしてようやくたどり着いた最高の言葉だったのだと思います。悲しみ苦しみ後悔・・・いろんな入り混じった思いを経ながらようやくたどり着いたこの言葉に落ち着きを感じられたのだろうと思いました。そしてそれは自分の中だけでは納まりきらず、誰かに聴いて欲しい、そう思われたのだと思います。思いを自由に語れること、聞いてくれる人がいることはその方の思いを整理したり確認したりするのにはとても大切なことなんだと改めて感じました。
コロナ禍が収束した後の世界はどんなになっているのでしょう。仕事の形態が変わり、生活様式が変わり、人と人の距離感が変わり、人の考え方が変わり・・・。でも人の思い、思いやりは変わって欲しくないと思います。ひとりじゃないんだ、そう思える、そっと寄り添ってくれる人がいると思える・・このことをいつもいつまでも大切にしたいと思っています。
もう少しの間お会いすることができないかもしれません。でもわたしたちはいつも変わらず、ここにいます。(W.K.)
神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)