【それでも私たちは、立ち上がる力を秘めています】
遺族会でよく「神も仏もあるものか」という、大いなるものへの怒りや疑問が出されることがあります。参加者の多くの人が、その言葉に共感する場面も少なくありません。
また「この悲しみは、体験した人でないと分からないと思います」、「いちばん分かってほしい家族が分かってくれないのです」、「この悲しみを言い表す言葉はないと思います」等と、これまでの孤独にについて話される遺族もおられます。
「こんな悲しみを抱えながら、皆さんはどのようい生きておられるのか知りたいと思って参加しました」と、朝になって目が覚めて今日もあの人のいない一日が始まる苦しさを話されることもあります。また、「いま私は人生のどん底、地獄、生き地獄のようなところに身を置いているように感じています」と言われることもあります。
このような遺族の方々は、どのように変わっていかれるのでしょうか。「遺族会」での分かち合いで、同じような悲しみを体験している方々に会うことができます。そこで「このように悲しみ、苦しんでいる人が私以外にも居るのだ」ということが分かります。
同じ喪失体験をしている人達同士だから、あなたの気持ちを受け止めてくれる場となるでしょう。自分の本音が出せる、自分が一番言いたかった気持ちが出せる場となるでしょう。
私たち遺族会の世話人は、何年も遺族会に参加する方々を支えながら、会を離れて「卒業」していく方々を見てきました。その方々を振り返ってみると、亡き人の悲しみを抱えながらも新しい人生を歩み始めています。
愛する人の想い出を消してしまうのではなく、乗り越えるのでもなく、死別の悲しみを抱えながら生きなおしているように見えます。どんな状況にあっても立ち上がっていく、そんな素晴らしい秘めた力を私たちは持っているようです。
遺族会に参加するまでは、勇気がいります。どうか勇気をもって、一歩を踏み出してください。あなたが本来持っている「秘めた力を持ったあなた」に出会えることでしょう。(F)