【詩】「あなたからのおくりもの」―分かち合いに参加された方々の言葉から―

【詩】
「あなたからのおくりもの」―分かち合いに参加された方々の言葉から―
作者 山下 文夫
いのちあるものには終わりがある
人のいのちも終わりがある
そんなことは分かっていました
・・・・・・・・
でも どうしてあなたが

あなたは 私たちの宝ものでした
・・・・・・・・
ぜったいに うそ
まちがいに決まっている
夢にも思わなかったのに

なぜ・・・・ どうして・・・・
だれか 教えてください
あの子が わたしたちが
何か悪いことをしましたか
あんなにいい子だったのに
あんなに小さかったのに
まだ ちょつとしか生きていないのに
もっともっとしたいことがあったのに
代われるものなら 代わってあげたかった

朝になったらいつものように人が歩いている
車が走っている
電車が動いている
テレビで人が笑っている
まるで 何ごともなかったように

家にいても
道を歩いても
あなたとの思いでばかり
あなたの声が
あなたの足音が
聞こえるよ

あなたに会いたい
今すぐ会いたい
ぎゆーーっと抱きしめたい
あなたのにおいが
あなたのぬくもりが
あなたの柔らかさが
今も 忘れられないよ
もう一度会いたい
たまらなく 会いたい

あなたがいて
私たちがいた
そんな何でもないふつうの毎日がどれだけ幸せな日々であったのか
皆がそろっているだけで
それが どれだけすばらしいことか
今になって 分かりました

春は桜散る通学路
大きなランドセルがゆれている

プールではしゃぐ子どもたちの声
へいのすきまから あなたをさがす

音楽に合わせて行進する子どもたち
こんなにいっぱい子どもがいるのに
あなたはいない
「サンタさんへ 妹を返してください
おねがいします
ほかのおくりものはいりません」と
お兄ちゃんが手紙を書いた
クリスマス

これから何度 このきせつを
くりかえすのでしょう

ことしは はたちになりますね
「いってきまーす」の声をのこして
あのわかれた日から
あなたと私たちの時間は止まっています

家族の話はさけたい
同情してほしくない
幸せそうな人がねたましい
そう思ってしまう自分がいる
でも そう思って苦しんでいるのは
私だけじゃなかった

きのう 夢で会えました
うれしかったよ
あの時のままのえがおで
「もう泣かないで 元気出して」って
はげましてくれたね
一番苦しかったのはあなただったのに
・・・・ ごめんね

あなたに会えてよかった
みじかい間だったけど
たくさんのことを教えてくれました
生きているだけですばらしいこと
生かされているいのちにかんしゃすること
生かされている今を
しっかり生きること

私たちのところに生まれてくれて
ありがとう
あなたの分もしっかり生きていくからね
これからも ずーーっと親子だよ
ずーーっとね
またいつの日か 会えるよね

「親の悲嘆に、一時的に忘れられる子たち」について

【「親の悲嘆に、一時的に忘れられる子たち」について】

私たちの遺族会には、子どもを亡くした母親も参加します。多くのお母さんは、「私の分身がもぎ取られました、生身をえぐられたような痛みです、もう生きていたくありません」と嘆かれます。

分かち合いの会に参加することで、その悲しみが「私一人ではなかった」という出会いがあります。「うちの主人は、子どもを亡くしたのに悲しくないのでしょうか?私の悲しみを少しも分かってくれません」と怒りと不満を吐き出されることが少なくありません。

このような会をお世話して私たちが学んだことは、「ご主人も悲しんでいる」ということです。陰で泣いているのです。これまでの日本の習慣で、悲しみを表に出さないように躾られてきたのが影響していると思います。

家族のみんなが、それぞれ悲しんでいるのです。悲しみ方は個人個人ちがうということを理解しておくことは大事なことだと思います。

それから、もう一つ気を付けておいてほしいことがあります。それは、子どもを亡くしたという衝撃と悲しみのあまり、「残された兄弟姉妹が一時的に親から忘れられた存在になることがある」のです。

兄弟姉妹も悲しんでいるのです。その悲しみを出せる場がないことがあります。「私が死んだ方がよかったのではないか?」とまで悩んでいる子どもが居ることを忘れないでほしいのです。

皆さんは、最初は自分の悲しみでいっぱいでしょう。その抱えきれないような自分の悲しみを「分かち合いの会」で吐き出しながら、まずあなたの悲しみに向かい合って下さい。

「はすの会」は、そのような方々との出会いを通し、お互いが支え合えるような会をめざして、皆さんの参加をお待ちしています。(F)